あれから20年

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1985年、ワタシはソウルで留学生活をしていました。住んでいたのは外国人留学生の寮で、在日、在米韓国人を中心にアジアやアフリカ各国からの留学生が毎日ロビーでわいわいとくつろいでいましたが、その中にたった一人パキスタン人の留学生がいました。
ほとんどの留学生がいわゆる学生さんでしたが、彼だけは職業留学生。本国ではすでにジャーナリストとして活躍していましたが、国費で留学する機会を得て韓国に。ベジタリアンの彼は、韓国の一般食堂では食事ができず、いつも菓子パンを食事にしていました。
その彼が、夏休みに日本に旅行するのだ、と言います。日韓往復の飛行機のチケット代と東京から京都への新幹線の運賃は確保している、友人がいるからそこに泊めてもらって1週間くらいで帰ってくる予定だとのこと。聞くと、旅費の他の所持金は十万ウォンくらいだというではありませんか。当時のレートで約2万円。在日韓国人の留学生もワタシも非常に心配になり、「東京は物価が高いよ。ソウルは空港からタクシーで3000ウォンだけど、東京は成田までバスでも1万ウォン以上かかるよ」「菓子パン1個1000ウォンくらいのものがあるから気を付けて。四角い食パンにしないとね」と口々にアドバイス。さすがにびっくりしたようですが、それでも「サンキュー、でもだいじょうぶだよ」とずっとニコニコ。
自分が留学する際、その更に20年くらい前に1ドルがまだ360円だった頃はアメリカに留学した日本人学生も相当苦労したという話しを聞いていました。ポケットに2ドルしかないまま、ガソリンのメーターを気にしつつ数時間運転して先輩ビジネスマンのところを訪ね、「すみません、メシ食わせてください」と泣きついた学生もいたとか。 そんなことを思い出し、けっして他人事ではない、と随分心配したのですが、、
十日たっても、2週間たっても、彼は帰ってきません。「どうしたんだろう?どっかで倒れてるのかなあ?」「戻ってくる旅費がなくなっちゃったとか」「あり金悪いヤツに取られてないといいんだが」何かあって日本の印象が悪くなるとイヤだなあ、という在日韓国人の留学生を微笑ましく思いつつも、いよいよ本気で心配になってきたころ、やっと戻ってきました。3分の2ぐらいにやせ細って。
「どうしたの?ずいぶん遅かったね?だいじょぶだったの?」
「だいじょぶ、だいじょぶ、本当に楽しかったよ。だから予定より長くいたんだ。写真をたくさん撮ってきたから見てほしいんだけど。」
ああ、フィルムも韓国で買って持っていくように言っておけばよかった、と思いつつ、写真を見ると、どれも、仏像、お寺、仏像、お寺、、、
「これが見たくて日本に行ったんだ。行って本当によかった」と、頬がこけた分大きくなった両目をきらきらと輝かせて本当に嬉しそう。もちろん、興味は仏像だけではなく、近代都市のありさまにも圧倒され、話しは聞いていたけどそれ以上だった、などと一生懸命語ります。
あれから20年。もう名前も思い出せないのですが、全力で留学生活を送っていた彼の姿はいまでも思い起こすことができます。もう五十代になっていると思いますが、新聞社の幹部になっているのでしょうか。それとも、自分で会社でも興してるかな。
そんな彼の国が大きな災害に見舞われました。どうか記事を書く側で飛び回っていますように。もう調べる手だてもありませんので、ひたすら祈るのみですが、彼の無事を信じたいと思います。
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Lucy

Second Lifeに棲息しつつ、いろいろと音楽を勉強中です。詳しいプロフィールはこちら http://lucytakakura.com/about-lucy

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