いまはむかし

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 A列車で行こう!で思い出したことがある。あれをはじめて聞いたのはVOICE OF AMERICAという米国の海外向け短波ラジオ放送だった。毎日夜9時からジャズ・アワーという番組があって、番組の最初に毎回あのイントロが流れた。もうあれから30年経つ。
 あの頃、BCLというのが流行っていた。Broadcasting Listeneng だったか、Listenerだったか忘れたが、とにかくラジオ放送を聞いて受信報告書を書き、それを放送局に送ると引き替えに送ってもらえるベリ・カードなるものを集める、という趣味だ。TBSでもNHKでもきっと受信報告書を出せばベリカードを送ってもらえれると思うが、それじゃつまらない。で、BCLをやっている人はたいてい海外の短波放送を聞いていて、各国の放送局にせっせとエアメールを出していた。30年位前ともなると、「外国」が珍しかった。エアメールは出すだけでもワクワクしたし、受け取ろうものなら、飛び上がるほどうれしかった。特に、ラジオ・オーストラリアのベリカードは大人気で、日本からの受信報告書が殺到し、放送局側も対応に窮することとなり、1回のみの受信ではベリカードは送付されなくなった。ワタシはどうしてもあのカンガルーの写真のベリカードが早く欲しかったので、しょうがないから英語放送を一所懸命聞いて、つたない英語で報告書を書いた記憶がある。でも届いたのはカワセミの写真だった、、、
 各国のベリカードのなかでも、未だに記憶に鮮明なのは、共産圏のものである。国家の宣伝に莫大な予算を投入していたのだろう。ベリカードには様々なおまけがついていた。中国からはセロファン紙に包まれたパンダの切り絵が届き、その後3年くらいは写真のような現代絵画で作られたカレンダーが毎年送られてきた。当時、BCLの雑誌から得た情報の中では、なんといっても平壌放送のものが一番豪華だった。一度でも受信報告書を出すと、それから毎日労働新聞が送られてきて、朝鮮の民族楽器の太鼓まで届けられたらしい。当時、まだ中学生だったワタシは、共産圏のおまけの豪華さの意味するところを全くわからないでいた。手始めにモスクワ放送に報告書を出したのだが、ベリカードの他に、日ソ友の会だか、友好協会だかの入会申し込み書がついていた。「ねえねえ、こんなの届いたよー。」と無邪気に親に見せたら、烈火のごとく怒られた。
 「バカだね、おまえは。あちらさんはね、こうやって情報集めてんだよ。絶対に入会なんてするんじゃないよっ!」
と言われ、その後、ソ連がいかに怖い国か、共産主義がどういうものか、延々とお説教された。ちょっと悔しかったので、全共闘世代末期に属する兄にも見せてみた。当時の平均的大学生はちょっとサヨちゃんだったりするので、ベリカードを自慢できると思ったのだ。
 「これもらったんだけどさー、ママに怒られたー」
 「あたりまえだよ。バッカだなあ、おまえは。」
 そして、全く同じ内容のお説教をされたのである。
 
 学校で教えてくれないことは、やはり身近な家族が補足するしかない。おかげでワタシは平壌放送に手紙を出すことは思いとどまった。本当はちょっとだけ太鼓が欲しかったんだけれど。
 今、こうしてここで元気に暮らしているのはやっぱり家族のおかげなんだなあ。

Lucy

Second Lifeに棲息しつつ、いろいろと音楽を勉強中です。詳しいプロフィールはこちら http://lucytakakura.com/about-lucy

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