重慶
サッカーのアジアカップが中国で開かれている。昨日たまたま対イラン戦を見たら、会場の中国人がすべてイラン側のサポーターとなり、日本が優勢の時はブーイング、劣勢のときは拍手がわき起こるような状態だった。
「靖国問題もあるしなあ。国策というか、国のスタンスに素直に従ってる結果なんだろうか」
そんな風にしか考えていなかった。
重慶在住経験者に聞いてみた。
「重慶、どうでした?」
「そりゃあ、もう。ガソリンスタンドにね、「日本車注油お断り」って書いてありましたよ」
母76歳にその話を持ち出してみた。
「重慶でさ、サッカーの試合ずっとやってるんだけどさ、、、」
すべて言い終わらないうちに、である。
「重慶?!!! またなんだってそんなところで!」
母の顔色は変わり、声色はひっくり返った。
「なんかね、観客の中国人がみんな反日で大変なんだって」
「あたりまえだよ! あそこは抗日戦の本拠地だったんだから。日本人はね、重慶なんて行っちゃいけないんだよ。あそこは日本人が行くとこじゃない。やだねー、重慶なんて聞きたくもない。みんなひどい目に遭ったんだから、あそこは。ホントになんであんなところで」
「中国が主催なんだもん。いろんな競技場で試合やってるみたいだけど、日本はここんとこずっと重慶だよ」
「日本の試合を重慶にするなんて、そりゃ戦略だね。わざとだ。」
日中戦争当時、かなりの数の日本兵が重慶で戦い、苦戦し、破れた。ことの経緯の詳細は諸論あるとしても、こっちが相手の領土に乗り込んで行って戦っているのだから「ひどい目に遭った」もないのだが、母にとってはいまだに「支那事変」なのである。ちなみにATOK15では「しな」と打っても「支那」という変換は存在しない。
日本人にとってのショックは中国人と戦って破れたということだけではなかった。
「行った人の話だとねえ、まあ、戦っても戦っても山の中から中国人がたくさんでてきてねえ、大変だったらしい。それで、それだけでも大変なのに、ロシア人まで出てきてびっくり仰天だよ。まさかロシア人と戦うなんて思いもよらなかったからねえ」
共産主義国の援軍だ。わからんではない。
「その上さ、爆撃機が飛んで来たと思ったら、アメリカ人が乗ってたんだってさ」
「ほんとなのかなー」
「ほらあ、蒋介石と毛沢東が日本と戦うためならってしょうがなく手を組んだわけさ。アメリカは蒋介石が呼んだんだろ、きっと」
第2次国共合作のことだ。抗日の戦いのためにイデオロギーの違う国民党と共産党が手を組んだ。その際、首都としたのが重慶であった。「呼んだ」のかどうかはわからないが、山川出版の現代日本史の教科書にはちゃんと「中国はアメリカ、イギリス、ロシアの軍事・経済援助を受けて戦った」と書いてある。
「へー」
「全く今の子はそんなことも知らないのかい。一体今の日本の歴史教育はどうなってるんだ。」
怒られた。もう「子」じゃないんですけど。国共合作は言われてみるとなんとなく覚えてるような気がする。昔は現代史の時間なんて無かったし、明治以降は3学期に駆け足で習った。今の教科書は種々の経緯を経てあの辺の記述が詳しくなっているから、逆にワタシなんかより若い世代の方がよく知っているかもしれない。しかし、それにしても、他国の援助については今の教科書だってたった一行である。習っても覚えているかどうか。「日本の戦地の兵隊さんが重慶に行ったらロシア人がいたのでとてもびっくりしました」とでも書いてあれば記憶に残ったのかもしれないが。
戦いに敗れたこともさることながら、情報統制の中で全く知らないうちにいつのまにか全世界を敵に回していたことは当時の人々にとって大きなショックだったようである。今となっては周知の事実かもしれないが、当時は「知らないうちに」敵同士が手を結んでこっちに向かって来ていた。イデオロギーの違う共産党と国民党、そしてアメリカとロシアが彼の地で一丸となってこっちに向かってくるとは思いもよらなかったのである。戦時中、それは公表されなかった。でも人の口に戸は立てられない。「ロシア人がいた」といううわさは瞬く間に広がった。大人のひそひそ話に聞き耳を立てては怒られていた母もその話を聞き逃すことはなかった。そして大変なショックを受けた。
「おかしいとは思ってたんだよ。南京陥落だの、どこそこ占領だの大騒ぎしてたけどさ、そこだけじゃないか。あんな広い中国をまっすぐ進軍していくだけで勝てるんだろうか、って疑問はあったよねえ」
実際には、一本道ではなく、青島から、広州から、複数の経路で進軍していったのだが、確かに「線」である。情報統制も野生のカンには勝てない。
「で、試合はさ、日本はどうしたのよ?」
真剣である。プレッシャーの中で負けました、なんて言ったら、またワタシが怒られそうだった。「引き分けたよ」といったら、「そうかあ」とため息をついていた。
戦いに敗れ、多数の死傷者を出し、自国の無謀さと無知に気づかされ、外交戦略・軍事戦略の失敗の象徴ともなった地。その「重慶」での試合である。日本人の母でさえも、「これはサッカーの大会だ」と切り離して考えることはできないでいる。重慶はすべての意味を込めて「日本人が行っちゃいけないところ」なのだ。そして、忘れてはいけないところなのである。
「やった」方がこれである。彼の地の人々は「やられた」のである。
この記事だけは多くの人に読んでもらいたいと思う。
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>りさん
コメントありがとうございます。どうも、ご批判のようですが、この文章で言っていることは、りさんのご意見と同じです。「日本人は中国人に憎まれて当たり前。今の若い日本人がそれをわかっていないのはおかしい」というのがこの文章の内容なのです。
わかりにくい文章かもしれませんが、もう一度、特に最後から2行目をお読みになっていただきたいと思います。
今の日本人の60歳以下の奴は100%何もしてねえだろうが。
それに日中平和友好条約で全部カタがついてんだよ。
だからおまえら支那野郎にがたがた言われる筋合いはねえ。