見えないもの
知人のサイトよりトラバ。まとまりなくつらつらと。
目に見えないものの存在の可能性を全く否定するとね、世の中変わらないと思うのですよ。目の前のものだけで終わっちゃう。社会の変化も発展もなくなっちゃう。見えないもので盛り上がってるのを見るとですね、見えない人や見ようとしない人はそりゃ悔しいですね。しかもあっちがなんだか得をしてるみたいだと思うとなおさらでしょう。それはわからんではないけれど。
見えないものを探求するエネルギーを若者が持っているのは悪いことではないと思います。もちろん、弊害もありますね。見えない「敵」ができちゃう場合。実際に自分に向かってきているわけではないのに敵として見えるような気がする、と言った方がいいのかな。それは外国だったり、社会の既成概念だったりするわけですが、それでも過激な暴力につながらない限りは若者のはしかみたいなもんだと傍観したりしてるワタシはもう年寄りです。年寄りとしては、どうせあいつら聞く耳もたんだろうから、真っ向から向かってもしょうがないけど、安全管理はね、大人の責務として何らかの形でやんなきゃいけないかもしれませんね。携帯サイトにしてもなんにしても。
人も国も若い時期を過ぎると「見えないもの」に対するエネルギーが沈静化してくるように見えるわけですが、飽きちゃうとか、必要なくなるとか、いろいろあると思うけど、いずれにせよ、そんなことをやっていると女の子にモテなくなる時が来るわけです。
でもね、今の日本の若者、ひょっとしたら年寄りが見えないところで見えないものを探求しているのかもしれません。集団が個になっただけで。
またなぜか「ですます」になってしまった、、、