昭和22年に葛飾区で中川の堤防が決壊した時のことを書いておく

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今日、2018年7月10日お昼過ぎ、テレビのニュースで「広島の榎川から待ちに水があふれている」との報道がありました。西日本は梅雨明けで晴れ上がり、雨は降っていませんでした。

「中川の時と同じだ」

今年90歳になった母がぽつりとつぶやきました。

今から70年前の昭和22年9月、カスリーン台風の影響により、埼玉県加須市で利根川が決壊、濁流は東京都江戸川区、葛飾区まで達し、横浜市がすっぽり入る位の面積が浸水しました。

中川の堤防が決壊したときの話しは母から何度も聞いてきましたが、私にとっては単なる昔話に過ぎませんでした。何の根拠もなく「もう同じことが起こることはないだろう」と思い込んでいた、遠い過去の話だったのです。

戦争中、燃料にするために中川の土手の桜が切られてしまい、地盤がゆるんでいたとか、
戦時中はどこもインフラのメンテがおろそかになっていたから、災害が多かったようだとか、
母もそんな風に言っていたので、
昔と今は事情が違う、昔は大変だったなあ、ぐらいにしか考えていませんでした。

でも、それは違う。

大昔、洪水があった。その話しは伝え続けなければいけない。

ここ数日の報道を見て、そう考えるようになりました。

しかも、去年、中川は危険水域ぎりぎりまで増水したのです。

私には子供がいないので、ご先祖様の話を伝える子孫がいません。
でも、だからと言って、伝えるべき話を自分の代で途絶えさせてしまうのは人としてどうかと思うので、ここに書き留めることにしたいと思います。

 

大変だ!という情報だけは来ていた

昭和22年9月、カスリーン台風が発生、
利根川が決壊しました。

4日後、台風一過で東京は快晴となりました。

戦争直後とはいえ、青春時代を謳歌していた母は、
その日、友人と銀座で遊んでいたそうです。

ところが、後から来た他の学生に、「君、だいじょうぶ? 君のうちの方なんじゃないの、大変なことになってるのは。電車が動かなくなって帰れなくなるんじゃないの?」と言われ、あわてて家に帰ることに。

幸いまだ電車は動いており、無事に家に帰れたのですが、
「おまえ、何してたんだー!」と
家族には無茶苦茶怒られたそうです。

とにかく大変なことになるらしいから、荷物をまとめろ、と
ご近所で声を掛け合ったそうですが、

今のように情報が入ってくる時代ではなかったので、
みんなどうしていいかわからず、ただただ風呂敷包みを作っただけ。

せっかく荷物をまとめたにもかかわらず、
それを床に置いたまま呆然としていた人がほとんどで、
床上まで浸水した家では結局荷物が水に浸かってしまったそうです。

 

一瞬で破壊されたわけではなかった

荷物をまとめながら
ふと庭に目をやると、
乾いた土の上に、何本もの糸のような筋が見えてきたそうです。

本当に糸と同じような細い細い筋。

その筋が見えて来た頃、
その辺の犬や猫がみんな2階に上がって来ました。
うちで飼っていた犬や猫じゃなかったので、
追い払おうをしたけれど、ガンとして動かなかったそうです。

糸のような水の筋が出てきた段階で、
材木屋だった祖父は番頭さんに
材木の固定を指示。

荒縄で材木をしばり、よしずで囲んでさらに固定。
もし材木が流れたら大惨事になる…
店中が怒号にまみれ、大変なことに。

そんな状況をよそに、
祖父は、たった一人でイカダを作りはじめました。

祖母を含め、家族全員が
「え? お父さん、何やってんの?」
というリアクションだったそうで。

そのときは誰も、イカダが浮くような状況になるとは思っていませんでした。

祖父がイカダを作りはじめた頃、
中川の堤防に流木が突っ込んだそうです。
でも、それで堤防が壊れたわけではなく、
流木がささったあたりから、徐々に水がしみ出し、
段々とその量が増えていき、ついに決壊、となったようです。

亀有周辺は水浸しになりました。

高台はありません。

人々はちょっとでも高いところを探しましたが、
鉄道が通る線路が一番高いところだったので、
線路上にはたくさんの人が避難してきたそうです。

亀有駅周辺では、それでもギリギリ助かったらしいです。

でも、水元の方では家が沈んでしまうほどの洪水に見舞われたとか。

祖父が作った2台のイカダはあちこちに出動することとなってしまったそうです。

 

情報はどこから来たのか

昭和22年ですので、テレビは無く、
映像は全く届きません。

銀座にいた母の友人は、恐らくラジオのニュースで情報を得たのでしょう。

利根川から濁流が来る。常磐線が止まるかもしれない。
そんな情報は得られたのだと思います。

一方、祖父の方は、なぜ危険を察知できたのか?

祖父の奉公先は呉服屋で、材木を扱う職人の経験はほとんどありませんでした。
建築や土木の現場で経験を積んできたわけではなかったようです。

それなのに、なぜ、イカダを一人で作れたのか?
なぜ、作り方を知っていたのか?
そもそも、なんで、糸のような水の筋→イカダを作らねば!と連想できたのか…

「おじいちゃんって、なんかの史料とか、本とかたくさん読んでたのかな?」
と母に聞いてみても、
「さあねえ、本を読んでいた様子はなかったけどねえ」
「なんでだか全然わかんないねえ」と要領を得ません。

気になって調べてみましたが、
昭和13年、それからもっと前の明治43年に荒川の洪水があったようですが、
昭和13年なら母が、明治43年なら祖父母が生きていた時代です。

そんな話をしていたら、
突然母が思い出しました。

「そういえば、ひいおじいちゃんが、80年ぐらい前、なんだかわかんない年号の時代にものすごい洪水があって、たくさん人が死んだって言ってたねえ」

うーん、ちょっと調べられないなあ。

しかし、いずれにせよ、祖父が先人から情報を得ていたことは間違いなさそうです。

 

そして今の中川

洪水で大きな被害を出さないために、荒川も中川も放水路が作られました。
中川の放水路は昭和38年に完成、それ以降、洪水の被害は出ていないそうです。

しかしながら、昨年の10月、中川が氾濫危険水位を超えました。
https://weather.goo.ne.jp/flood/626/201710230830.html

70年前の浸水は2m以上、浸水面積は440km2です。440km2というのは横浜市がすっぽり入る広さです。

どうか、近隣にお住まいの方はくれぐれも豪雨に警戒なさるよう、
この記事を持って、お知らせしたいと思います。

 

参考サイトとその要約

○葛飾区史ホームページ
http://www.city.katsushika.lg.jp/history/child/index.html

・カスリーン台風
http://www.city.katsushika.lg.jp/history/child/2-9-7-92.html
昭和22年9月11日発生
死亡者数 1077人
行方不明者数 853人
負傷者数1547人
浸水家屋数38万4743戸

利根川の堤防が決壊、その四日後に葛飾区の中川の堤防が決壊し、
葛飾区でも5万4128戸が浸水した。水元では水深3m以上になった。

・中川放水路の工事
http://www.city.katsushika.lg.jp/history/child/2-7-5-73.html
昭和13年の洪水後、中川放水路の工事をはじめたが、戦争で一時中断。
昭和22年にカスリーン台風の被害が出たことで工事を再開、昭和38年に完成した。

○国土交通省関東地方整備局ホームページ
http://www.ktr.mlit.go.jp/index.htm
・カスリーン台風被害状況
http://www.ktr.mlit.go.jp/river/bousai/river_bousai00000008.html
埼玉県加須市で350メートルにわたり堤防が決壊、その濁流が葛飾区、江戸川区にまで達し、その浸水面積は約440平方キロメートルにまで及んだ。

※440平方キロメートル
面積の比較
https://ja.wikipedia.org/wiki/面積の比較
横浜市の面積 437km2
奄美大島 461km2

Lucy

Second Lifeに棲息しつつ、いろいろと音楽を勉強中です。詳しいプロフィールはこちら http://lucytakakura.com/about-lucy

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