タイにて
屋根に上って水が上がって来た時は、死のうと思って一度水に潜ったけれど、怖くなってまた水からあがった。
「そのとき、はっきり、死のうという意志があった」
あの津波のとき、一人助かった杉本遼平君が親戚の方と共にタイにて行方不明のお母さんの捜索をしました。その模様が今日の昼のテレビ朝日で放映されていたのですが、インタビューに答えて津波が起こったときのことを語る遼平くんの言葉がこれです。「」の部分は要約ではなく、彼が実際に口にした言葉です。これが12歳の、まだ小学生の少年の言葉だとは、、、
最初の捜索において遼平くんが現場を案内したとき、彼が建物や道路の構造、そして家族が身につけていたもの等を説明したわけですが、その記憶の正確さと冷静な説明ぶりに救助隊が非常に驚いたという話がありました。そして、この発言。彼は、事物のみでなく、自分の感情でさえも、客観的に分析し具体的に説明できる能力を身につけている、、、本当に驚きです。
かといって、彼が人より先に大人になってしまっているのかというとそうでもなく、取材陣からお菓子をもらって「うまいー!」と笑いながら食べる姿はやっぱり小学生の子どもです。でも、そのお菓子をその場にいた人全員に自分から配って歩いているのを見ると、やっぱりえらい子なんだなあ、と感心させられますね。
恐らくご両親は、ていねいに、ていねいに、彼を教育をされていたのでしょう。子どもの自立を損なわずにきちんと躾るにはどうしたらよいか、日々考えに考えながら彼に接していたに違いありません。そんなご両親の無念さを思うと、本当に涙が出てきます。遼平くんが元気に生きていってくれることを心からお祈りします。
なお、今回の現場では、親戚の方々が一人一人がスコップで掘っていくという地道な作業を黙々とやっていたのですが、現地のタイの人たちはそれを見かねてショベルカーを携えてかけつけ、作業に加わってくれました。現地ではまだまだ大変な状態であると思うのですが、タイの人たちというのは本当にすごいです。タイ政府が、タイへ割り当てた支援額はインドネシアに回してくれ、と言っていたのを思い出しました。
ここで、あらためて、家族を失い傷ついた子どもたちへの支援活動を行っているユニセフのリンクを貼ります。現地の活動の模様を録画した動画があるのですが、これは日本語のサイトには載っていなかったので、英語のサイトへのリンクになってしまいました。ご了承のほどを。
Tsunami disaster – countries in crisis
杉本遼平君からの手紙 2005年3月
全国から沢山の励ましの手紙をもらいながらも、この私にまでお返事のお手紙をくださいました。
いつもいつも頭が下がる思いです。頂いた手紙ですから公にする事は避けます…
杉本遼平君からの手紙(2) 近況です!! 2005年5月31日
あの悲惨なスマトラ沖地震からもう5ヶ月が過ぎようとしています。
遼平君にとって、この5ヶ月はどんな気持ちで、過ごしてきたのか、
考えるだけで胸が痛みます。
3月の卒業式以来、遼平君の様子はマスコミに取り上げられることも
なくなり、その後の遼平君の事が、いつも気がかりでした。
遼平君への記事へのアクセスを毎日頂き、やはり関心のある、気になる
大きな出来事として、皆様の心に遼平君の事が、捉えられているの…
初めてスマトラ沖地震のことを知りました
「僕の神様」を聞きこんなにつらいことあったなんて
びっくりしました。
遼平さんの想いはわからないけれど
家族が居なくなると思うと私もつらいです。
この歌を聴き今は
よかったです。